遥かあなた



かつて女の一部であった頃

わたしはすべてに守られていた

世界はあたたかな海と

豊饒な栄養と

にぎやかな鼓動に満ちていて

わたしは無条件に安らかに

まどろんでいられた


あの頃は己だけを愛でていた

あらゆるものから祝福されていた

むき出しの果実のような

たよりない命のかたまりでも

なにものにもおびやかされることなく

喜びのみに浸っていられた

わたしは子宮の王だった


ところがある日　不意に冠を剥がれると

わたしは地に産み落とされ啼いた

やがて吹きつける風が肌を撫ぜ

心細さから乳房にすがったとき

わたしは初めて他者を知った

人類共通の初恋の相手

そのひとの名は母


やっと呼吸が整いはじめた頃

わたしは父の胸に抱かれた

次には親戚に頭を撫でられ

しだいに友と笑い合うようになった

わたしの愛はそうして少しずつ

己から遠き人へと

母から遠きものへと


視界が澄んでくるにつれ矛先は

音や　虫や　乗り物へ

そのうち太陽や星や言葉といった

届かぬ憧れの彼方へ

少年は青年に　青年は成年に

そしてついに　最も遠く

手に入れがたきあなたと出逢った


遠く　遠くへと

思いを向かわせることが宿命ならば

たどり着くべきは　さいはてのあなた

失くした冠を探しつづける

この長い道程を終わらせるなら

遥かあなたの宇宙でふたたび

女の一部になるほかない