ひとり焔を踏み消して 彼はマンションの前で車を停めた 「送ってくれてありがとね」と 助手席で彼女はほほえんだ 今日は楽しかった いや　会えば楽しいのは これまでもずっとそうだった これからもずっと楽しいだろう ふたりがともだちでいるかぎりは 彼女はドアノブに手をかけて 「またね」と言う 彼は肩に手をそえて 「待って」と止める 彼は告げなくてはならない たとえこの関係が いまここで途絶えるとしても たいせつな友をひとり うしなうことになろうとも 彼女は身をこわばらせて ドアノブからそっと手を放す かすかにふるえる肩が 言ってはだめ　と告げている この世にはたったひと言で すべてを壊すことばがあるのよ　と それは彼にだって わかりきっていた 彼はそのことばをひと思いに告げる 気まずい空気をともなって ながいながい沈黙が流れる 彼女はしずかに口をひらく 「ありがとう　でも　ごめんね あのひとと やり直すことになって……」 時が凍りつく 彼女は沈黙を溶かすように もういちど「ごめんね」と言う 彼は笑ってこたえる 「謝ることなんてないよ こっちこそごめん おれが勝手につけた火だからさ 責任をもっておれが消す」 彼女はドアノブに手をかけて 急いで車を降りてゆく 過去へと走る彼女の後ろ姿は つよい意志にみちている エントランスへ消える背中に 彼はそっと投げかける 「こんどはうまくやれよ」と こいびとになれなかった男が そしてたったいま ともだちの資格さえうしなった男が 惚れた女に唯一できることは ひとり焔を踏み消して しあわせを祈ることだけだ