緋鯉 夜の公園に着くとあなたは先にいて 池の淵から何かを覗きこんでいた 隣に並んでしゃがむと 月明かりのない水面で黒い魚たちが 身をくねらせ合っていた あなたは仕事帰りのスウツ姿で トオトが足元の芝生に置かれてあった 髪がうなじの辺りでひとうねりしてるのは さっきまで束ねていたからだろう 小さな耳からすずらんの薫りがした おもむろにあなたは餌を放ると 小声で何かをつぶやいた ばしゃばしゃと魚の暴れる音が重なって 「まだ今は」の前後が聞きとれなかった 改めて聞き返す勇気がなかった 長い沈黙の手持無沙汰に 一本だけ残っていた燐寸を擦った ほの明るい火を池にかざすと 黒く見えた魚たちは緋鯉の群れだった うすくれないの鱗がうねっていた ふいに夜風が火を消した 焔硝の匂いとともに揺れのぼる 細い煙の軌跡を目で追った 空ではやけに腫れぼったい雲が 月を覆い隠している