キの迷宮



ひとり暮らしの部屋でくつろぐ深夜

『独裁者』を観ながら笑っていたら

急にドアが開いてだれか入ってきた

そいつは自分の部屋みたいにあがりこみ

「はァ 見つかんねえやィ」と言って

カウチソファの隣に座った

見覚えのないカモノハシだった


カモノハシは水かきで目をこすりながら

「さんざん探したんだがよォ」とこぼす

ぼくは状況がうまく呑みこめなかった

ドアには鍵をかけておいたはずだし

こんなヤツは同居人でも知り合いでもない

「レンタルビデオ店っつうのは迷宮だなァ」

カモノハシは愚痴を吐いた


「おめェさんがタイトル教えてくれたからさァ

それを頼りに探そうとしたんよォ

そしたらジャンル別に分かれてやんの

これから観ようってのに

ジャンルなんか知るかよなァ!」

カモノハシはイライラしたようすで

くちばしをカタカタ鳴らした


「キで始まる映画を探そうと思ったらよォ

アクションのキんとこ見て

サスペンスのキんとこ見て

ラブストーリーのキんとこ見て

ドラマのキ SFのキ ホラーのキ

コメディのキ ファンタジーのキ アニメのキ

って探し回らなきゃなんなくて

そのうち新作だの 準新作だの ランキングだの

オススメだの 監督別だの出てきて

ったく どこに置いてあんのさァ!」

カモノハシは毛を逆立てながら

饒舌にまくし立てた


「それ なんて映画ですか?」と尋ねてみると

「おめェさんがススメたんじゃねえかよォ

『気狂いピエロ』だろォ?」

とカモノハシは息巻いた

記憶をさかのぼってみたが

ぼくは生まれてこのかた一度も

カモノハシにゴダールを勧めた覚えはない


でもタイトルだけで探せない気持ちや

ジャンルが特定できない気持ちは分かる気がした

仮に観たことのある映画でも たとえば

『レオン』がアクションかサスペンスか

ドラマかラブストーリーかなんて

ぼくにだってよく分からない


「ジャンルってのはだれが決めたんだァ?

なんで全部アイウエオ順にしねえんだァ?」

とカモノハシは疑問を呈した

ぼくも『独裁者』というタイトルしか知らなかったら

コメディの棚にはなかなか行きつくまい

おそらく『気狂いピエロ』は

「フランス映画」の「キ」のところに

置かれてあったのではと思われるが

まさかそこだけ国別になってるだなんて

カモノハシに分かろうものか


「アクションの中でもさらに分かれてんのさァ

だから アドベンチャーのキんとこ見て

ギャング&マフィアのキんとこ見て

バイオレンスのキんとこ見て

戦争のキ 西部劇のキ カンフーのキ

ヒーローのキ スパイのキ パニックのキ

ってこっちがパニックだっつうのォ

あちこちに「キ」が乱立してやがって

森林でキを探すようなもんさァ

キが遠くなるぜェ」


カモノハシは疲れ果てているようだった

両生類のような水かきで目をこすり

鳥類のようなくちばしをカタカタさせ

哺乳類のような毛を震わせて

「ジャンルってなんなんだよォ・・・はァ」

とため息をついた


ふとカモノハシの足元を見ると

一枚のDVDが置かれてあった

「それ なんですか?」

「けっきょく『キッド』借りてきちゃったよォ」

キ キ キ とさまよっているうちに

キの迷宮のコメディの棚で

偶然出くわしたのかもしれない

ぼくはそれをデッキに入れ

カモノハシと並んで鑑賞した


途中 あるシーンのところで

ぼくらは同時に涙をこぼした

こんなに泣ける映画が喜劇なのか

分類なんてよく分からないけれど

ぼくらはともに流しあった

生物の垣根をこえて

おそらくは同じ涙を