(「詩と思想」2014年 6月号<テーマ:秘密>」掲載)


      滝湯



雪降る山を奥へ奥へ分け入ると

見知らぬ滝つぼに当たった

そこは活火山を源流とした温水が

岩肌の傾斜に沿ってなだらかに落ち込み

野湯となって溜まっていた


はらわたの芯まで冷え切っていたので

迷わず服を脱いで岩場に放り投げ

わたしは肩まで湯につかる

凍えた節々が命を吹きかえしはじめ

ふうぅ と吐いた息で湯気を散らすと

開けた視界の先 やけに毛深い先客がいた

火照った顔のいのししだった


「お邪魔でしたか?」と尋ねると

いのししはふやけた鼻先をひくひくとさせ

「イイ湯デスワネ」と返す

頭に白い手ぬぐいかと見れば

雪が積もっているのだった


「ドウシテ ココヲ?」といのししは尋ねる

「たまたま通りかかって」とわたしは答える

いのししはそれきり黙って枯木立を見上げる

耳の毛先や牙の根元から

卯の花色の湯気が揺れ立っている


我々は降りやまぬ雪を見やり

そそぎ奏でる滝湯の音を聴き

ほのかに香る硫黄を嗅いだ

まるで世の寒さに抗うすべの

わずかひとつでも知り得たかのように


ふいに草陰からこぶし大の毛玉が転がってくるや

とっぷんと湯に落ちる

やがて ぶふぅと浮き上がってきたおさな顔は

母親そっくりの目をしている

おやこは寄り添って湯につかる

「広めません」とわたしは言った


昨年 師走なかば

とある雪國での出来事である

諸事情により詳しい地名は

申し上げられない